祈りをささげる

教区報に掲載されている典礼コーナーから転載しています。

朗読台




 内陣で大切な場は、感謝の祭儀がささげられる祭壇、神のことばを告げる朗読台そして、会衆の祈りを導く座長の席です。今回の「典礼のコーナー」では、みことばを告げ知らせる朗読台について考えてみたいと思います。
 現在のように司祭が会衆に向かってささげる対面ミサ以前は、朗読台は見えなくなっていました。司祭は祭壇で、ラテン語で、会衆に背を向けたまま聖書を読んでいたので、聖書を告げ知らせる特別な場所の必要性を感じていませんでした。司祭は、福音朗読が終わってから、高い説教台に上って行きました。それは「神のことば」を告げるためではなく、トリエント公会議の指示に従って要理を教えるためでした。山手司教座聖堂に今でもその説教台が残っていますが、今は使われていません。第二バチカン公会議以前の典礼を偲ばせるだけです。


 ミサ典礼において、信者に聖書を告げ知らせ、味わわせることがもっとも大切なことである、と改めて自覚されてから、聖書の朗読台は再び重んじられるようになり、昔の説教台はなくなりました。そして、ミサには二つの食卓が大切で、それは「ことばの食卓」と「パンとぶどう酒の食卓」でささげられると言われるようになりました。
 この朗読台は、神のことばの尊さを感じさせるものでなければなりません。簡単な書見台や譜面台はふさわしくありません。ミサが行われていない時でも、祭壇と朗読台がいっしょに見えるなら、聖堂に入る人は神のことばの尊さを覚えるのです。
 朗読台では、聖書朗読、答唱詩編の歌、司祭か助祭の説教以外に、助祭の祈りへの招き、共同祈願、徹夜祭の復活賛歌ができますが、お知らせなどはできません。聖書にたいする礼を失することになるからです。
 「ことばの食卓」を際立たせるために、入堂行列の時に奉仕者が捧持するろうそくを、感謝の祭儀が始まるまで、朗読台の両側に置くことができます。
朗読台で聖書を朗読する時、朗読者は個人のものと思われるような小さい聖書、典礼のパンフレットのようなものを使わず、神のことばの大切さを感じさせる朗読用聖書、または福音朗読書を使うべきです。朗読台に進んでいく態度はもう朗読の一部です。これから行われる奉仕は神から与えられて、共同体の兄弟姉妹のために神の恵みを告げる奉仕であると思っているかどうか、その歩き方によって分かります。時々見られることですが、司式司祭と他の奉仕者も聖書朗読を聞きながら、次の動作についてお互いに相談したりしないようにします。
 聖堂の内陣に時々二つの書見台が見られます。一つは聖書の朗読台、もう一つは司会者、聖歌をリードする人、あるいはお知らせをする人のためです。その場合、司会者用書見台は朗読台ほど立派なものではなく、内陣の外に置くことが勧められます。または、二つとも聖書朗読用のためであって、一つは福音の朗読のためだけ、もう一つは他の朗読のために使われることがあります。これは福音書に特別な尊敬を表わすためですが、聖書の統一性を明らかにするため、朗読台は一つにしたほうがよいと思われます。
 最後に、朗読台の音響効果について特別に気を使う必要があります。朗読台と朗読書がどんなに立派なものであっても、朗読者がどんなに丁寧に朗読していても、音響機器がよくなければ、聖書のことばの大切さが伝わってこないからです。


参照:「ローマ・ミサ典礼書の総則(暫定版)」(44、58、61、71、105、118、130、133-136、138、175、177、196、197、260、309)
(教区典礼委員会)