祈りをささげる

教区報に掲載されている典礼コーナーから転載しています。

侍者(祭壇奉仕者)の奉仕


       
復活された主に出会うために侍者の奉仕
 キリストと共に、キリストを通して、共同体が捧げるミサは、神への最高の礼拝です。この感謝の祭儀がスムーズに行われるように、共同体を代表してキリストの祭壇で奉仕する侍者の役割はとても重要です。侍者の正しい動作と姿勢によって共同体の心をイエスに向かわせるからです。侍者も会衆の一人として司祭と共にミサを捧げていることを忘れず、祈りながら司祭と共同体に奉仕するならば、いっそうよく神に仕えることになります。
第二ヴァチカン公会議まで
 第二ヴァチカン公会議まで、侍者は英語で“altar boy(祭壇の坊や)”、と呼ばれていました。この言葉は、祭壇に仕えるのは男の子に限られていたことを表しています。ミサはラテン語で捧げられていたので、会衆は司祭の挨拶、祈りへの招きなどに応えることができませんでした。そこで司祭は、侍者にラテン語を暗記させ、司祭のラテン語の挨拶などに応えることができるようにしたので、「ミサごたえ」と呼ばれるようになりました。
 侍者には鈴を鳴らす役割もありました。司祭は会衆に背中を向けてミサを捧げていたので、ミサがどこまで進んでいるかを会衆に知らせる必要があったのです。たとえば司祭が御血をいただくときの鈴は、会衆に聖体拝領が近づいたことを知らせるためでした。
そのほか聖体拝領のとき、信徒は聖体拝領台にひざまずき、口で聖体を受けるように義務付けられていたので、顎(あご)の下に皿を差し出す役割がありました。聖体を落とす危険があったからです。また、侍者はカリスとかチボリウムという聖具を祭壇に運ぶことは許されていませんでした。香部屋係りに任命された人以外には誰も聖具に触れることは許されていなかったので、司祭は自分で香部屋から杯の上にパテナをのせて祭壇まで運び、ミサの終わりまで祭壇上の真ん中に置き、退堂するとき自分で香部屋に運びました。
現在
 公会議の後、ミサの言葉は日本語になり、捧げ方も変わったので、侍者の役割も変わりました。
 現在は、男女年齢を問わず、洗礼を受けている人は誰でも侍者の奉仕をすることができます。小学生だけに頼んでいると、中高生が侍者を敬遠しかねません。女の子ばかりにお願いしていると、男の子は来なくなる傾向があります。侍者の役割分担の際に留意すべきでしょう。侍者は子どもだけの奉仕ではありません。成人の男性、女性にも侍者の奉仕をすることが勧められています。
侍者の勤めの大切さ
 司祭、聖体奉仕者、朗読者、聖歌隊のメンバー、先唱者等のふさわしい態度がミサの信仰に満ちた雰囲気をつくることは言うまでもなく大切ですが、祭壇で奉仕する侍者の役割はとくに大切です。入堂から退堂に至るまでの侍者の動きや態度は、共同体にキリストの現存を感じさせる良い影響を与えます。たとえば、ことばの典礼のとき、朗読者をていねいに案内すると同時に、侍者自身も聖書のみことばに耳を傾ける。祈るときに手を合わせる。信仰をもって聖体を受けるなどが大切です。もし侍者が、次に行われることを他の侍者と相談したり、おしゃべりしたりするなら、会衆の気が散る原因となります。
 侍者の服装については規則がありませんが、主日と祭日のミサに白いアルバを着ることが勧められています。もし、ふだん着で侍者を勤めるなら、感謝の祭儀にふさわしい服装にするように留意すべきでしょう。 
 司祭は、信徒に任せることができることを自分だけで行うことがないように、侍者を育てることが必要です。
平日の少人数のミサの場合、侍者がいないからといって、ミサの初めから終わりまで祭壇の上に、杯、パテナ、ぶどう酒と水のびん、手を洗う皿などを置いておくことは望ましくありません。それは、祭壇に対する尊敬が足りないしるしになります。会衆の一人に侍者を勤めるように依頼することが大切です。その人は、奉納と聖体拝領のときだけに、会衆の席から立って、侍者の奉仕をしても差し支えありません。
 特に子どもの侍者を指導するリーダーは、侍者の養成は信仰養成に繋がるという意識を持ってほしいと思います。侍者は、ミサを捧げる共同体に属していること、共同体の一員として祭壇に仕えること、その役割は、共同体にたいする感謝のひとつの表れであるという心を持つように導いてほしい。侍者として心を神に向けるように、ミサの前に短い祈りを唱えるように導くことも大切です。
 《侍者は、人に仕えるために御子をお遣わしになった神に仕える人です。》
(教区典礼委員会)