祈りをささげる

教区報に掲載されている典礼コーナーから転載しています。

子どものカテケージスと典礼




子どもが初聖体を受けると親は一安心するようです。そして、初聖体を受けた後、塾、クラブ活動などの理由で子どもが主日のミサに参加しなくなることは仕方がない、と考え、五、六年先の堅信の秘跡に希望を置く親が多いように思われます。
そこで、考えてみたいのは、子どもの信仰の養成です。誰も信者として生まれる人はいません。皆、洗礼を受けて信者になるのです。信仰に入る秘跡は三つあります。洗礼、堅信、聖体です。この三つの秘跡を受けないと入信のプロセスは終わりません。
幼児洗礼の場合、その信仰の養成、すなわち信者として生きていくためのイニシエーション(教会共同体への加入)は、初聖体の準備から堅信までです。信仰の養成には知識がもちろん大切です。信仰の基礎的な知識がなければ、信仰を持ち続けることは不可能だからです。しかし、養成は知識だけでは足りません。教会共同体の先輩と交わりながら信者としての生き方を学ぶのです。ここに典礼の役割があります。
子ども(注一)のカテケージス(注二)は、教会共同体の中で行われる教えと典礼の二つの基礎の上に成り立っています。教会学校のリーダーたちは本当に素晴らしい奉仕をしています。共同体は心から感謝しています。しかし共同体は、子どもの信仰養成について共同体としての役割と責任を意識しているでしょうか。「教会学校」という組織を考えると、共同体は関わりを持たなくてもいい、指導はリーダーと司祭に任せ、自分たちは遠慮すべきだと思っていないでしょうか。始業式、終業式、卒業式などは共同体と直接関わりがないと考える人たちがおられるのではないでしょうか。
共同体との関わりなしに子どもの信仰養成はありえません。初聖体は個人的な信心ではありません。共同体と共にキリストの食事に初めて与ることです。初聖体の子どもを食卓に迎え入れるのは、前から食事をしている人たちではないでしょうか。子どもの時から皆とのコムニオ(交わり)を学ばせる必要があります。そのコムニオの中で信者としての生き方を身につけるのであれば、子どもに対する共同体の責任が大きいと言わざるをえません。信仰教育を司祭や数名のリーダーに任せるとしても、子どもの信仰養成を行なうのは、共同体全体の役割です。
成人の場合に入信のプロセスには入門式、入信志願式という段階があります。求道者の心の変化、信仰の成長に伴って儀式があります。その儀式には共同体の役割があります。同じように子どものためにも段階と儀式が必要ではないでしょうか。
ここで、考えられる儀式の一つの提案をします。秘跡に関係があるので、ミサの説教の後に行われるようにします。
(1)小学校二年生の初めに:
洗礼の代父母、または養成担当のリーダーが、「キリストの食事に与る」初聖体の準備を始める子どもたちを共同体に紹介して、共同体の祈りを願う。
(2)初聖体の一ヶ月前に:
 子どもたちが初めて、いやしと喜びの秘跡である「ゆるしの秘跡」を受け、初聖体の最後の準備に入ることを共同体に知らせて祈りを願う。
(3)四旬節と待降節の季節:
 成人信者と同様、子どもたちがよい黙想会の機会が持てるように、共同体の祈りと協力を願う。
(4)堅信の準備が始まる前に:
キリストの弟子として、共同体と共にみ国のために働く恵みをいただく堅信の秘跡の準備を始めることを共同体に伝え、聖霊の力を祈るように願う。
(5)堅信の一ヶ月前に:
堅信の代父母、または養成担当者が、堅信を希望する子どもたちを共同体に紹介し、最終的準備のために共同体の祈りと模範をお願いする。
共同体の代表は祈りを約束し、自分の堅信を思い起こさせてくれたことを感謝する。
 このような試みを考えてみると、小学校六年生で教会学校を卒業する意味は薄れます。入信の秘跡のプロセスが堅信の秘跡まで続くのに、堅信の秘跡を受けていない状態で卒業するのはどうでしょうか。堅信をもって新しいスタートにしたいものです。
 次回の「典礼コーナー」では、カテケージスと典礼の相互の関わりを考えながら、子どもたちの信仰養成の内容についてもう少し考えたいと思います。


注一:ここでは、小中学生を考えています。
注二:キリストの信仰と生き方を伝え、育てること。


(教区典礼委員会)