祈りをささげる

教区報に掲載されている典礼コーナーから転載しています。

朗読の奉仕




 ミサの中で、信徒が果たす種々の奉仕の一つに聖書朗読があります。これは、神のことばを告げ知らせる重要な奉仕です。神のことばが、聴いている人たちの心にしみ込んでいくために、朗読奉仕者はその大切さを理解し、心の準備をし、また朗読の技術を身につける必要があります。
1.奉仕の大切さ
 ミサには、ことばの典礼と、感謝の典礼の二つの食卓があります。ことばの典礼は、感謝の典礼の準備ではなく、二つの食卓の一つであり、神のことばによって私たちは養われるのです。神は朗読奉仕者を通して会衆に語ります。神のことばには力があります。「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばもむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす」(イザヤ55:10~11)。
 ミサの間に告げられる神のことばは過去のことばではなく、「今日」私たちのために実現するのです(ルカ4:21参照)。ことばの典礼は、神とご自分の民との対話です。希望を与えることばもあれば、驚かせることばもあります。慰めることばがあれば、厳しく問われることばもあります。
2.心の準備
 神のことばを人に伝える前に、まず、そのことばは自分に告げられていると考え、謹んで受け入れることが大切です。ことばが伝えるメッセージを黙想して自分のものにします。つまり、朗読奉仕者は、神のことばを伝えると同時にそのことばを自分にも聴かせるのです。当日の福音との関わりを理解することも必要です。
 ここで、「読む」と「伝える」の相違を考えてみましょう。「読む」とき、私とテキストの関わりでしかありません。「伝える」とき、神のことば、聴く人、私自身の三者の関わりになります。ですから朗読奉仕者は聖書を「読む」のではなく、神のことばを「伝える」のです。印刷されている聖書のことばは、朗読台から奉仕者によって朗読されるとき、聴く人たちにとって、生きた「いのちのことば」になり、聴く人たちの心の中に聖霊が働きます。このことが意識できると、朗読奉仕がいかに大切であるかを悟ることができます。この意味で、事前の準備と、ていねいに「伝える」ことが強調されるのです。
3.正しい朗読のための技術 
①事前に朗読箇所を熟読し、意味とメッセージを理解し、大切なことばを見つけるように努めましょう。そして「伝える」とき、大切なことばの前に一瞬の間を置きます。そのとき間が長すぎると、聴く人の注意は、ことばよりも奉仕者のほうに向いてしまいます。
②マイクの調子を確認し、声が聖堂の隅々にまで届くように留意します。
③自分の席から朗読台までの歩き方は朗読の始まりです。侍者がいれば、朗読奉仕者の後を歩くのではなく、先にたって案内し、読む箇所を示すようにします。
④朗読台に着いたら会衆にではなく、朗読聖書に一礼をします。
⑤朗読箇所の表題を言いながら、会衆を見ますが、朗読中には会衆を見ません。まっすぐに立ち、会衆に頭頂部を見せるのではなく、顔を見せます。
⑥芝居がかったイントネーションはつけないこと(特にイエスの受難の福音のとき)。聖書の「私」は奉仕者の私ではありません。
⑦聖書の重みを感じさせる朗読聖書を用います。一枚だけのリーフレットを使わないように。
⑧朗読はゆっくり、早くならないように、文章の終わりに声が低くならないように注意します。
4.奉仕者の資格
 受洗者に限ります。
 事前に朗読の練習をする信徒。ぶっつけ本番は禁物です。
 仲間の注意を謙遜に受けることのできる人。


 最後に、朗読奉仕者の良き準備と学びは、自分自身にとっても大きな恵みとなります。 
(教区典礼委員会)